あなたは自分が死ぬことが怖いですか?
死んだこともないのに?
死んだことを想像したことはありますか?
もし想像したことのないなら、本当に自分が死んだ時のことを考えてみたらいいと思います。
想像できましたか?
あなたはどうなっていますか?
物理的な体はなくなり、意識もなくなります。だんだん死にゆくときに、徐々に体の感覚と頭の意識が薄れていく感覚は、死ぬ本人としては眠る感覚に近いのかもしれません。死後はもしかしたら幽霊になって、体外から眺められるのかもしれませんが、これはわかりません。
続いて、死後、周りは何かが変わっていますか?
身近なところでは、死んですぐ葬式があったり、悲しんでくれる人がいたりするでしょう。
範囲を広げて、世界はどうでしょう?
多分、何も変わらないのではないでしょうか。
いつもの日常がいつものように繰り返されていくだけなのではないでしょうか。平和なところは平和で、戦争しているところは戦争している。
要するに、自分が死んでも世界的には大したことにはならないということです。
死んでも大したことないのだから、その他のことが起きたとしても、もっと大したことないってことです。
人は様々な事で悩みます。仕事や恋愛を含む人間関係やお金、住む場所、働く場所など様々です。しかし、たいていのことは死ぬことに比べれば大したことないでしょう?
そう考えると、死んでも大したことないのですから、仕事や人間関係やお金はもっと大したことないです。
人の悩みなんて、それくらいちっぽけなことです。
極端な言い方をすると、どーでもいいことです。
死すら大したことないと考えると、人はみんな結構どーでもいいことをしながら生きてますよね。
「どーでもいいですよ」
あなたの周りに発生するトラブルや悩み、怒りなど、自分にネガティブなことが起こった場合、「どーでもいいですよ」って独り言を発してみて下さい。心の中で言うだけでもいいですが、できれば声に出して言ってみて下さい。
あ、でも目の前に当事者の誰かがいる時に言うと、余計なトラブルを増やしかねないので、気を付けて下さい。
「どーでもいいですよ」と言うと、焦りが無くなったり、心臓の鼓動が落ち着いたり、体の力が(いい意味で)抜けたり、リラックスできると思います。
その方が冷静かつ客観的に、今の状況や自分を把握、分析できます。それによりうまく問題解決する方法を思いつきます。実行に際し、恥やためらいなどが起こりそうですが、死に比べれば大したことないので、思いついた問題解決方法を思い切って実践する行動が取れます。行動の結果として良い方向に向かうことができます。
例えばこういう話を聞いたことありませんか?
ハチャメチャな男子中学生がいて、学校では最低ランクの学力で、無免許でバイクを乗り回し、悪事を働いたり、学校へ行かないような、世間的にはあまり良く思われない親不孝の代名詞のような子が、ある日バイクで大きな交通事故に遭って、死の淵を病院で彷徨い、奇跡の生還を果たした。退院したら人が変わったように真面目になり、親孝行するようになり、一生懸命勉強に取り組むようになり、地域で一番学力の高い高校を受験して合格した。
似たような話が多くあることは、あなたも聞いたことがあるのではないでしょうか。
これは死に直面すると人は変わるということの現れだと思います。本当に死に直面すると時間の大切さにも気付きます。より良く生きるように変わります。
冒頭に書いた「自分の死を想像し受け入れること」は、本当に死の寸前まで行く危険を冒さなくても、死に直面して気付きを得るという同じ効果がある方法というわけです。
良い結果は良い行動が生みます。良い行動には良い判断が必要です。
良い判断には良い分析が必要です。
良い分析には冷静さと客観性が必要です。
冷静さと客観性には、「どーでもいいですよ」と言うことが必要です。
「どーでもいいですよ」と言うときには、一度自分の死を受け入れて、周りで起こることはたいてい大したことないと思う事が必要です。そうすることでより良く生きられると思います。人生が変わると思います。
いかがでしたでしょうか。
あなたのお役に立てれば幸いです。
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