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年功序列は「働かないおじさん」を作り出す悪? →実は95.4%の人には良いシステムだった!

仕事ができる人になる

 コロナ禍でニューノーマルやらリモートワークやら「これからは新しい働き方だ」という。そして「働かないおじさん」が、また騒がれている。

 10年前にリーマンショックの時にも同じようなことがあった。「これからは成果主義だ」と言われ、「年功序列」と「終身雇用」と「働かないおじさん」が騒がれた。
 また繰り返している感じがしている。

 「働かないおじさん」を生むと言われる年功序列は悪のように扱われているが、年功序列は本当に悪なのか?悪しかないのか?

 私は悪だけとは思わない。悪だけと決めつけるのもどうかと思う。

年功序列の考え方

 年功序列の基本的考え方はこうだ。

 人間は仕事をしていて、歳を取ったらその分、色々経験して能力が上がる。能力が上がって仕事をするので、結果として功績も上がる。だから年齢が高い方が役職上位についたり、給料が高くなる、という考え方だ。

 つまり、「歳」と「能力」と「功績」の3つが全部連動して上がることを前提とした制度と言える。そして結果として「給料」が上がる。

 歳は誰もがとる。歳をとらない人はいない。

 能力は、「変わらない」か「上がる」。上がり方には個人差や大小がある。仕事によっては、下がる場合もあるだろう。

 功績は、「無い」か「ある」。「ある」にも大小がある。能力が上がって仕事を継続して行ってきた人は、功績があると言える。功績が「全く無い」人はいないだろう。よく巷で言われる功績が無いは、「目立った功績が無い」と同義で使われる。

年功序列の問題

 

 歳と能力と功績の3つが連動して上昇していくのが年功序列の基本的な考え方だ。そして給料も上がっていく。下の図のイメージだ。

最初の出発点と最終到達点には個人差が出るとしても、歳と能力と功績と給料は連動する。

でも実際に世の中では、3つが連動して上昇していないので、問題が起こっていると考えられる。

下の図のように、能力と功績の上昇が見られないだいたい40代後半以上の人が”もらいすぎ”と、やり玉にあげられる。

能力と功績のピーク年齢や高さは、業界や業種によって異なる。

能力と功績の高い人が若い世代に集まりやすい業界(例えばIT)だと、能力と功績のピークが若年化し、給料との乖離がより目立つ。

ただし、新しい業界、変化の激しい業界だと、まだ訪れていない未来があるため、わからない場合がある。


以上を整理すると、

①入社したてのときは、能力、功績は無いけど給料はある程度もらえる。(働く人から見たら得)

②20代中盤から40代中盤にかけては能力、功績が上がり、働き過ぎた分があっても給料はもらえない。(働く人から見たら損)

③40代後半からは能力、功績の上がりは停滞もしくは少なくなるけども、20代中盤~40中盤で出した能力、功績の分を”後払い”する形で給料をもらえる。(働く人から見たら得)

元々は、歳、能力、功績、給料は、セットで上昇していく前提だった。

それがいつからか、人生一社で勤め上げる前提(離職防止の目的も含む)とされ、働く40年間のトータルで給料を払うシステムとされてしまっている。働く人から見たら、損する時と、得する時があるシステムになっている。

ここでは詳しく触れないが、「退職金」も最後に一括払いで、離職防止や給与支払の先延ばしに一役買うシステム。途中で離職しするともらえないか額が少なくなる。

20〜30代で短期的に切り取って見てしまうと、能力と功績が給料と見合ってないので、年功序列は悪とされ、問題を生み出している。

しかも日本の人口の年齢構成比率的に、会社を構成する人も必然的に若い人は少なく、年寄りは多くなりやすい。だから、ラクしてる人(年寄り)が多く、働いている人(若い人)が少ない状況になりやすい。

そして若者が「働かないおじさん」に「給料もらいすぎ」とNOを叫ぶ。

年金問題と似ている。

年金問題は受給者(主に65歳以上)と負担者(主に64歳以下)の間で不公平感が出ている。

企業内でもラクしてる人(主に40歳以上)と、働いている人(主に39歳以下)の間で不公平感が出ている。

日本全国の視点(年金)の視点で見ても、企業内(給料)の視点で見ても、年齢が高い層の方が優遇されていると不公平感が出ている。

年金から給料に話を戻すと、年功序列で起こる「給料もらいすぎ問題」は、「歳、能力、功績、給料」の観点から、下記で考えられる。

「歳」は全員取る。「給料」は上がっていくと仮定する。

残った「能力」と「功績」が歳と共にどのように変化するのかに着目する。

問題1:能力が低い人、功績が無い人

 歳をとっても能力の上がらない人、能力の上がりが低すぎる人がいること。能力が低いゆえに功績がない人。

 結果として、歳をとっても能力が低い・功績が無いのに、高い給料をもらうことが問題。

 年功序列問題では、良く目立つ悪い例の代表と思う。

問題2:能力が低い人、功績がある人

 能力が上がってなくても、功績を上げた人がいること。

結果として、歳をとっても能力が低いのに、過去に功績を上げたから、高い給料をもらうことが問題。

 これは功績の考え方による。誰もが認めるわかりやすい功績はよいのだが、大きな功績でも単発の場合やラッキーパンチだったりすると、何年も経つと後から入ってきた若い人には認識されない。そうすると若い人からは、ただの能力が低い人なのになぜ給料が高い?と認識されてしまう。
 
 功績は目立つものだけとは限らない。日々の仕事・業務の運営を、問題や滞りなく継続し続けるのも功績に含まれる。功績の大小はあるが、日々の運営をする人がいないと会社は回らないと考えると、通常業務をしっかり行っていく人は必要だし、しっかりおこなったことは功績(あるいは貢献)と言える。

 「通常業務」と言っても時代と共に業務の方法も変わる。例えば経理だと、そろばんが電卓になり、電卓がPCになり、PCがエクセルやシステムになるなど変化している。変化に対応できているという点でも、能力が全く上がっていないとは考えにくい。

 だから恐らくこの問題は、能力が上がっているのに、上がっていないように見えてしまうことだと考える。また、功績を上げているのに、上げていないように見えてしまうことだと考える。

 要するに、能力と功績を上げるとは、誰もが認める高いレベルでないと一切認めない、という高い理想からくる極端な考え方と誤解から来るものと考えられる。

問題3:能力が高い人、功績が無い人

 能力が上がっても、功績がない人がいること。

 結果として、歳をとって能力が高いが、功績がないのに高い給料をもらうことが問題。

 これも問題2と似ている。
 仕事の能力は、仕事を通じて上がる。仕事をしないで能力だけ上がることは考えにくい。

 この問題では能力が上がっているのだから、仕事は過去にしてきたと考えられる。同時に功績も上げてきたと考えられる。だから功績がないのではない。功績はあるが見る人がそれに気が付いていないだけ。
 もしくは問題2と同様、高いレベルの功績しか認めないというハードルの高い考え方による誤解と思われる。


年功序列の本当の問題

 ここまでの問題1~3がよく言われる年功序列の問題だろう。若い人からもよく聞く不平・不満の代表だ。

 だが、先に述べた通り、問題2、3はハードルの高さや誤解によって生じていると考えられる。本当に問題なのは、問題1のケースだろう。そこで次の表1を見てほしい。

<表1:能力と功績のマトリクス>

 「働かないおじさん」を含めた「おじさん」を能力と功績のマトリクスにした。
 
 年功序列の前提となる歳、能力、功績から、全員共通の歳を除いた能力、功績について取り出したものだ。さらに能力と功績をそれぞれ3段階に分けた。

能力の分類はこうだ。
 「低い、不変」:低いまま、上がらない、変わらない
 「高い、上がる」:年齢に応じた高さがある、過去より上がっている
 「とても高い、とても上がる」:年齢以上に高い、とても高く上がっている

功績の分類はこうだ。
 「無い」:全くない
 「ある」:目立った功績はない、日々仕事を問題なく行っている
 「とてもある」:目立った功績がある、日々の仕事に工夫を加えてより良くしている

 こうして見ると年功序列では「能力:高い、上がる」と「功績:ある」が標準的な設定になっていることがわかる。
 ここは重要なので、念のためもう一度言い換えると、「標準」は歳と共に、能力が上がり、功績があることが標準だ。ただし、功績は誰もが驚くような大きい功績のみを言うのではない。

 そして問題1のケースに該当するのは、能力、功績ともに低く、マトリクス上で「×」が付いている人、ということになる。

 それではこの問題1のケースに当たる人はどのくらいいるのだろうか?

 次のグラフ1を見てほしい。一般的な正規分布と標準偏差のグラフになる。

<グラフ1:正規分布、標準偏差の考え方>

①真ん中で平均値

②平均から一定の割合の人が標準的な人の範囲

③極端に良い人と悪い人を除いた95.4%の範囲。ここにほとんどの人が入る。

①~③以外の両サイドの人は、よっぽどできる人か、よっぽどできない人だ。

 最初の表1と、今のグラフ1を組み合わせると、表2になる。

<表2:能力と功績の人口分布>

平均を中心とした68.2%を標準属性とし、その上下13.6%ずつを能力か功績のいずれかしか持たない人の属性とする。

すると、なんと能力も功績も無い人は、2.3%しかいないことがわかる。(よっぽどできない人)

従業員10人の会社ならほぼ0人。

従業員50人の会社なら1~2人。

従業員100人の会社なら2~3人。

従業員1000人の会社なら20~30人だ。

あなたの所属している組織と比べてどうだろう?

これくらいの比率で存在していないだろうか。

存在しているとしたら、それは「普通」だ。



反対に、能力も功績も高い人は、成果主義だろうがニューノーマルだろうが、制度に関係なく給料が高い属性に入る。その比率はわずか2.3%。(よっぽどできる人)

どうだろう。なんと上位と下位を除いた大部分の95.4%の人は年功序列の恩恵を受けることができるのだ。

この結果を以て、年功序列が完全に悪と言い切れるだろうか。

年功序列を批判している方々は、年功序列の恩恵を受けない方なのだろうか。制度を批判している方は、ある程度自分の仕事を頑張っていて、成果も出していて、それでも報われないと感じている方が多いのではないか。表2で分類する95.4%に入っている方々なのではないだろうか。

年功序列の恩恵を受ける方々が、年功序列を批判しているという変な状況になっていると考えることができる。過度に年功序列を批判しない方がよいのではないだろうか。

本当に問題になっているのは、普通に存在する2.3%のダメな人をどうやったら普通レベルに上げられるかだ。それなのに、ボリュームゾーンにいて年功序列の恩恵を受けている人が、自分達の首を絞める話なのに気付かず「みんなで不幸になろう!」というように、ダメな人に過度にフォーカスして騒ぎすぎではないだろうか。

成果主義を導入した場合の影響度

先程の表2はある程度の期間働いた人、つまり「おじさん」と呼ばれる人をマトリクスにした。

この表を新卒の新入社員に当てはめてみたらどうだろう。(表3)

<表3:新入社員のマトリクス>

新卒の新入社員に功績はもちろんない。能力は低い。その会社で働いたことがないので当然だ。入社した翌日に、明日からいきなり働けと言われて、会社のルールや決まりや所属している社員の名前も知らないのに「仕事をする能力が高い」とは考えられない。

一部に例外はいる(2.3%)かもしれないが、97.7%の人が、能力は低く、功績はないと考えられる。
一部の例外は、アルバイトからそのまま社員になったような場合などがある。この場合は、能力も功績も備えている。

実際の年功序列のシステムでは、新卒の新入社員にも給料は支払われている。当然、能力にも功績にも見合っていない。大卒で20万円程度支払われているとしたら、能力・功績以上に給料は支払われていることになる。

年功序列を批判する方は、初任給は0円でよいというのか?きっとそうではないだろう。それでは5万円ならよいのか。10万円ならよいのか。15万円ならどうだろう。

いずれにしても初任給が0円でない以上、入社1か月目の新入社員は、能力と功績に見合っていない給料を支払われることに変わりはない。

「新卒の新入社員は可能性に期待されているから20万円支払われるのは妥当だ」という意見もあるだろう。だが、成果主義は成果に対して支払われる対価だ。可能性や期待は能力や功績を始めたとした「成果」ではない。新入社員1か月目は、まだ何も達成されていない。むしろ研修などで費用がかかっている。新入社員から教育費を会社が徴収してもおかしくない。

ところで、完全歩合の会社は別である。完全歩合の会社では年功序列は無いので、年功序列の問題は起こらない。能力・功績の低い人は給料が低い。反対に能力・功績の高い人は給料が高い。

話を元に戻そう。それでは「働かないおじさん」は給料0円でよいのだろうか?きっとそうではないだろう。能力・功績のない新入社員は0円ではないのだから、「働かないおじさん」も0円ではないと考えるのが妥当ではないだろうか。

「働かないおじさん」に給料払う必要ないという極論を言う人もいるが、0円とまで言うのは、行き過ぎと考えられる。

成果主義は正義のシステムか?

 仮に年功序列はやはり悪のシステムで、成果主義が正義のシステムだと仮定する。

 次の表4を見てほしい。年功序列が廃止され、成果主義に移行した場合の表だ。

<表4:成果主義に移行した場合に給料が下がる属性>

今、年功序列を否定している方は、気を付けた方が良い。15.9%以上の人が給料が下がる可能性が高い。
成果主義では成果が重視される。能力が高くても功績が低い場合は給料が下がる。
功績があっても能力が低いと功績を出し続けられないのでやはり給料が下がる。

そして今標準の位置にいる人も気を付けた方が良い。表の標準のコマの一部が黄色に欠けていたことに気づいただろうか。今は標準の位置にいて、年功序列から成果主義へのシステム変更によるその瞬間は影響がないかもしれない。だが、未来においては、いずれ今の標準の位置も能力と功績による9分割の仕分けがされる。能力・功績が無いと判断された人は給料が下がる可能性がある。

また、大半の標準の人の給料は変わらない。なぜなら能力も功績も標準だからだ。もともと標準だった人は、評価の方法を変えても、やはり標準だ。でもがっかりすることはない。標準は期待通りの結果を、期待通りに出していて、成長しているということだからだ。それはつまり「しっかり仕事をしている」ということだからだ。しっかり仕事をして成長しているのが標準だからだ。正に年功序列だ。歳と共に能力と功績が上昇していると言える。

このように成果主義が導入されると、給料が下がる機会が大幅に増えることになる。一方で給料が上がる人もいるだろう。だが割合としては少ない。上位の2.3%と13.6%を足した15.9%だ。全員が上がるわけではない。

まとめると、年功序列から成果主義に変えるということは、95.4%の人にとって良いシステムだったものが、84.1%の人にとって良いシステムになるということだ。

メリットを受ける人が減るということだ。

これは本当に喜ばしいことだろうか。本当は恐ろしいことではないだろうか。

「働かないおじさん」にならないために

 今標準の位置にいる人も、誰もがいずれ「働かないおじさん」になる可能性がある。今と同様のことをしていてもだ。今いる「働かないおじさん」は、実は昔と同じことをしているに過ぎない可能性が高い。

 世の中の変化に対応できず、変わっていないのだ。今の変化に対応しなくても、それが過去にはベストの方法だった可能性がある。ただ、本人は変わっていなくても、周りは変わっているのだ。本人のレベルは変わらなくても、周りのレベルが上がっているのだ。

 昔は功績を上げられた方法だったとしても、今では功績を上げられない方法になってしまったのだ。
 昔20年前に買ったときは最新の車で最新の性能だったとしても、今ではもっと新しい車があり性能がアップしているのと同じだ。

だから「働かないおじさん」にならないためには、常に勉強し、努力し、仕事をして、自分を変化・成長させることしかない。例え、今この瞬間は功績を上げられる方法で仕事をしているとしてもだ。周りが変化してレベルアップしている状況での現状維持は衰退を意味する。

あなたが「働かないおじさん」予備軍になっていないかどうか、次の質問に答えてみてほしい。

■「働かないおじさん」予備軍度を測る質問

Q1:あなたの会社で新しく導入されたPCソフトを使った事がありますか?

Q2:あなたの会社に新しく入社した人と話したことがありますか?

Q3:あなたに会社から新しい役割や担当が与えられましたか?

Q4:あなたの下に新しい部下は付きましたか?

Q5:あなたの手がける商品やサービスは新しくなりましたか?(新開発やモデルチェンジなど)

Q6:あなたがやり取りする会社外の協力会社やお客様などに変化はありましたか?

「はい」が多い人は、意図的かどうかに関わらず、勉強、努力、変化の必要性にさらされ対応している。今のところ、「働かないおじさん」になる可能性は低いだろう。

「いいえ」が多い人は、変わらない毎日を過ごしており、変化が少ないと思われるので、気を付けた方がいい。「働かないおじさん」に近づいている可能性がある。

■「働かないおじさん」にならないために

勉強、努力、変化、成長は「働かないおじさん」になってからでは、ちょっと大変だ。できればそうなる前に手を打った方がよい。体重が100kgになってダイエットを始めて70kgにするよりも、75kgから70kgにするほうが簡単なのと同じだ。

だからと言って、遅すぎることはない。

こういう言葉がある。

「千里の道も一歩から」(ことわざ)
・何事も一歩目から始まる。

「何かを始めるのに遅すぎることはない」
(イギリスの政治家、首相も務めたスタンリー・ボールドウィン(1867~1947)
・始めないと始まらない。

昔の人も、同様の問題に直面していたと考えられる。いつの時代も変わらない問題なのだ。

働く個人としては、まず年齢のせいにするのをやめよう。歳をとってからでもできることはたくさんある。

そしてあなたがもし経営者なら「働かないおじさん」を非難してはならない。本来はそれをマネジメントするのが経営者だからだ。従業員を否定する経営者は、自らを否定していることと同じと考えた方が良い。部下を否定する上司も同じだ。子供を否定する親も同じだ。立場が上の人が、立場が下の人を否定するとき、大抵悪いのは、立場が上の人だ。

自分の教育が間違っていなかったか。問題を放置し続けた結果ではなかったか。今一度考えなおしてみてはどうだろうか。きっと思い当たる節があるはずだ。

まとめ

年功序列は悪なのか?のまとめ。

・年功序列は、働く人の95.4%にとっては悪くない制度とわかった。
 年功序列の制度自体が、完全に悪とは言い切れない。
 制度が適切に運用されていないことが問題。

 年齢と共に能力、功績が上がるのが前提で、給料が上がる制度。だから年齢と共に能力・功績・給料が上がっていれば、適切に運用されていると言える。
 しかし、年齢に応じた能力、功績の上昇がないのに、給料が上がっている人が発生すると問題になる。

・周囲の人は、「働かないおじさん」問題について、理想の高さや誤解から生まれると理解した方が良い。
 大抵の人は年功序列の恩恵を受ける。だから「働かないおじさん」がいるからといって、年功序列の制度批判を強調しすぎない方がよい。いずれ自分たちの首を絞めることになる。

・働く人は、「働かないおじさん」にならないために、常に勉強し、努力し、仕事をし、自分を変化・成長させることが必要だ
 誰もが働かないおじさんになる可能性を秘めている。

・経営者は、「働かないおじさん」を作り出さないために、適切な采配を振るう必要がある。
 経営者が従業員に文句を言うのは筋ではない。「働かないおじさん」が生まれたのは、適切な采配を振るえなかった経営手腕の結果。経営者が「働かないおじさん」を批判するのは、自分の無能さの証明にしかならない。

いつの時代も変化するものだ。自分自身が変化し続けてくことが大事だと改めて思う。

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